ある光

アラフォーおひとりさまで両側乳がんになった私の日々

抗がん剤4回目

抗がん剤4回目の前日は、ほとんど眠れなかった。
コロナへの恐怖、先生にどう相談したらいいか頭の中の考えが止まることがなかった。
朝5時に起き、6時過ぎに起きる。電車はいつもより空いていたけれど、近くにいる人が咳払いを一つしただけで不安になった。

先生にまずコロナの不安を告げると、
開口一番で「そんなに心配はいらないですよ」とのこと。
ステロイド剤を処方しているし(これはよくわからない)
リンパ球の働きもある。
血液検査の結果、リンパ球が標準で30あるので、そこまで一般の人と大きく違うとえなくてもいいということだった。
「一般的に、抗がん剤治療をしていると重症化しやすい」という話ではなく、自分自身を見て大丈夫と言ってくれるのは安心感がある。

「術後抗がん剤が一年続くことを考えると、5類になったとき怖い」とも伝えた。
効果の強い抗がん剤を使っているので、術後抗がん剤はやらない可能性もあるとのこと。
そうなれば本当にうれしいけど。

超音波で画像診断。
がんのサイズは確実に小さくなってはいることを説明してくれた。
「温存手術でいきますか?」との声かけに驚く。
これまでは、温存という選択肢はないような感じで話が進んでいたから。
温存する気持ちはないけれど、それも視野に入るくらい効果が出ていることがうれしかった。
本当に術前に消えてくれたらいい。
その希望が何パーセントなのかわからないけど、そうなれば先の一年がまったく別物になるのに。

化学療法中は睡眠不足を解消するようにほとんど寝ていた。
看護師さんが副作用や気持ちのつらさをヒアリングしてくれて、少しノイローゼ気味であることを伝えると、患者支援センターを紹介してくれた。

患者支援センターでは、あまり頭が働かず、自分でもひどく会話がたどたどしいのを感じた。
スタッフの方は、正直、こちらの話をただオウム返しというか、共感するばかりで、特に対処法を教えてくれるとかはなかった。
それでも話さないよりは話した方がよかった、ありがたかったと思う。
もしもコロナになったらまずは電話で体調不安を相談してくださいね。とのこと。
でも病院が遠い。
将来的に転院も考えていることを初めて口に出した。
人に話すことで本当にそうしてもいいのかもしれない、でも5月以降もう少し状況が変わってからでもいいのかもしれないと思えた。

今回の通院で人に話したことで少し気持ちが軽くなった。
一方的にネット情報を受診して鬱々しているのは健康的じゃないなと実感した。

夜は父が車で迎えに来てくれた。
事前に換気をしてほしいとかうるさくいっていたので車に換気モードをつけてくれていた。
いい年して両親に頼るばかりで早く恩返しがしたい。
父に、母に、できることがしたい。