ある光

アラフォーおひとりさまで両側乳がんになった私の日々

やるべきことが、不安を覆い被してくれる

朝から、白血球上昇のためのジーラスタ打ちに病院へ。今日も父親が送迎してくれた。片道45分ほど、いつもありがとう。
帰ってから午後1時くらいまで何かだるくて寝てしまった。

午後、確定申告にとりかかる。
去年いっぱい副業で取り組んできたライター収入は、思っていたより全然無かった。それでもあの案件もこの案件もけっこう一生懸命にやってきたなぁなんて、自分に甘い感想を抱いてしまう。
来週、ひさびさに一件回ってくる予定。それが私の社会との唯一のつながりになるのかなぁ。

確定申告書の作成が難しい。自分、こういうの弱いなぁと実感。国保のことで区役所に問い合わせメールを入れた。
そして医療費控除の額がえげつない。8月までメンタルクリニックに通って(2年半も?)10月にがんの告知なんてひどすぎるよ。
とにかく額や件数が多くて面倒くさいけど、ひとまずやることはわかった。

やるべきことがある、ということは、不安で頭がいっぱいになる状況を遠ざけてくれた。暇が不安を呼び寄せるんだ。

明日一ヶ月ぶりにHさんに会う。
将来の話をするのがとても怖いけど、もう逃げられないところへ来てしまった。

抗がん剤4回目

抗がん剤4回目の前日は、ほとんど眠れなかった。
コロナへの恐怖、先生にどう相談したらいいか頭の中の考えが止まることがなかった。
朝5時に起き、6時過ぎに起きる。電車はいつもより空いていたけれど、近くにいる人が咳払いを一つしただけで不安になった。

先生にまずコロナの不安を告げると、
開口一番で「そんなに心配はいらないですよ」とのこと。
ステロイド剤を処方しているし(これはよくわからない)
リンパ球の働きもある。
血液検査の結果、リンパ球が標準で30あるので、そこまで一般の人と大きく違うとえなくてもいいということだった。
「一般的に、抗がん剤治療をしていると重症化しやすい」という話ではなく、自分自身を見て大丈夫と言ってくれるのは安心感がある。

「術後抗がん剤が一年続くことを考えると、5類になったとき怖い」とも伝えた。
効果の強い抗がん剤を使っているので、術後抗がん剤はやらない可能性もあるとのこと。
そうなれば本当にうれしいけど。

超音波で画像診断。
がんのサイズは確実に小さくなってはいることを説明してくれた。
「温存手術でいきますか?」との声かけに驚く。
これまでは、温存という選択肢はないような感じで話が進んでいたから。
温存する気持ちはないけれど、それも視野に入るくらい効果が出ていることがうれしかった。
本当に術前に消えてくれたらいい。
その希望が何パーセントなのかわからないけど、そうなれば先の一年がまったく別物になるのに。

化学療法中は睡眠不足を解消するようにほとんど寝ていた。
看護師さんが副作用や気持ちのつらさをヒアリングしてくれて、少しノイローゼ気味であることを伝えると、患者支援センターを紹介してくれた。

患者支援センターでは、あまり頭が働かず、自分でもひどく会話がたどたどしいのを感じた。
スタッフの方は、正直、こちらの話をただオウム返しというか、共感するばかりで、特に対処法を教えてくれるとかはなかった。
それでも話さないよりは話した方がよかった、ありがたかったと思う。
もしもコロナになったらまずは電話で体調不安を相談してくださいね。とのこと。
でも病院が遠い。
将来的に転院も考えていることを初めて口に出した。
人に話すことで本当にそうしてもいいのかもしれない、でも5月以降もう少し状況が変わってからでもいいのかもしれないと思えた。

今回の通院で人に話したことで少し気持ちが軽くなった。
一方的にネット情報を受診して鬱々しているのは健康的じゃないなと実感した。

夜は父が車で迎えに来てくれた。
事前に換気をしてほしいとかうるさくいっていたので車に換気モードをつけてくれていた。
いい年して両親に頼るばかりで早く恩返しがしたい。
父に、母に、できることがしたい。

怖さの中にいる

母、感染11日目。
11日目以降はほとんど他人にうつす心配はないという情報を何度も読んだけど、なんとなく距離をとってしまって、朝のうちは少し気まずかった。
地獄のような12日間の反動で、午前中はほとんどベッドに伏せてしまっていた。

両親のコロナ感染中に弱気になっていたおばあちゃんに、「皆が良くなったらおいしいおまんじゅうでも買ってくるから食べよう」と約束していたので、茶葉と大福を買いに近所まで出かけた。

冬の割に気温が高い日で、一瞬真冬だということを忘れ、「これから抗がん剤治療をしながら暑い夏も、寒い冬も越えなければいけないのか」などと思った。
むしろ想定通りにそれだけで済むならいいとさえ思えた、それくらい頭の中は悲観的になっている。

おばあちゃんは、おいしい、おいしいと何回も言いながらいちご大福を食べてくれたので、それだけで今日一日の目的は達成した。

5月からのこの国が怖い。通院が怖い。
家族がいつコロナを持ち込んで来るか怖い。
そればかりを考えている。
明後日主治医に聞けることを聞くしかないけれど。

コロナとの闘い

1月25日に父のコロナが発覚してから地獄のような日々だった。
27日、母も陽性になった。
ドア越しに「大丈夫?」と声をかけても両親の「大丈夫」という声しか聞こえない不安。
90を越えた祖母に感染させてしまったらという不安。
抗がん剤治療で高リスクになっている自分への感染の恐怖、恐怖でしかない日々だった。

朝30分かけた洗面台の消毒。
毎日40分かけた風呂場の消毒。
ものに触れるたびに「ウイルスがついているのでは」と
恐怖しては、ビニール手袋を捨て、消毒液の散布を繰り返した。
「コロナ ○○」と、感染に関する情報を探し続けた、おかげで今では大概のことがわかった。
弱気になってすっかり落ち込んだ祖母も勇気づけなければならなかった。

でも、もう終わる。
本当は11日目になっても少し怖いけれど、もし明日以降感染してしまうのならば、もう手を尽くしたと腹をくくる。

本当に疲れた、もう二度とこんな思いをしたくない。
明日の朝でこの生活を終わろう。
私は家族3人を守ることができた。
お疲れさま。